2022.3.31

1年の終わりを強く感じるのは12月より3月。幼稚園以来ずっとそうだ。3月から4月になるたびに、周りから何人かがいなくなって、別の何人かが現れる。私にとってだけでなく、誰にとってもきっとそう。会えなくなると寂しい人も、近くに来ると嬉しい人も、いなくなってほしい人も、来ないでほしい人も、みんなまとめてガラガラポン。組織に所属している限り永久に続くのだろう。

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サニーデイ・サービスのライブとラグビーを観るために加入していたWOWWOWでアカデミー賞授賞式の中継があったので観ることにした。作品賞候補10作のうち半分は観た映画だったこともあり、どの作品が受賞するのかワクワクしていたので、ネットで結果を見ないようにした。半日以上スマホを見なかったのはいつ以来だろう。毎日用もなくスマホを見てばかりだな。Twitterは楽しいから仕方ないな。帰宅してから、録画していた授賞式を再生する。オスカーを手にするか否かに関わらず、この場所にいるということが人生における最高の栄誉のひとつなのだろう。それにしてもウィル・スミスの平手打ちのシーンには驚かされたなあ。一連の流れがスムーズすぎて、初めはそういう演出なのかと思ってしまった。事前情報なしでいきなりあれを見るなんて、別によいことでもなんでもないけど、生きていてそうそう起こらないことだろう。平手打ちの直後、デンゼル・ワシントンはウィルに対して"At your highest moment, be careful because that’s when the devil comes for you."と助言を与えたそうだ。彼はあんな場面を目撃して、どうしてすぐにこんな言葉をかけてあげられるんだろう?カッコよすぎる。危機に直面している人に助け舟を出せる人間になりたい。

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今月はコロナ禍になってから初めて平均歩数が10,000歩/日を達成できた。ひとりで旅をしたときにたくさん歩いて、休みを取った代わりにテレワークが少なかったからだ。知らないところをたくさん歩くことは人生にとって必要なことだ。孤独の時間も人生における愛すべき瞬間なのだろう。だが観光地でない町を歩くには、今のタイミングは早すぎるのかもしれない。誰でもどこにでも行ける可動性を取り戻す必要がある。それはまだだいぶ先のことになるのかもしれないが。私は人生において旅の経験をかなり重視しているので、ここ数年ぜんぜん遠出できていない若い人は今後率先して知らないところに出かけてほしいと思う。レンタカーを借りてみんなでワイワイ行くのもいいし、ほとんど口を開かないような孤独な旅もよい。そういう時間がきっと人生を豊かにするはずだ。

桜が綺麗に咲いている。大きなブルーシートを敷いて花見をしたい。花が散ったらピクニックをしたい。ハイキングをしておにぎりを食べるのもいいな。4月もたくさん外に出て、たくさん歩き、たくさん酒を飲めるとよい。

2022.2.28

先月末の日記では個人間の暴力について記述したが、今月は同じ構図の暴力が国家間で起こってしまった。私は10代半ばの頃、人は対話によって分かり合えると考えていたが、大学に入ってからはそう単純なものではないということを理解した。だが、それでも人類は常に進歩していて、生活が阻害されるほどの感染症も、大国による侵略戦争も、もはや過去の遺物であり起こるはずがないという期待をどこかで抱いていた。こうした期待が単なる幻想に過ぎなかったという現実は非常に不愉快なものだが、それでも朝起きて仕事に出掛け、昼休みには定食のいくつかのメニューから最も悪くないものを選び、帰り際に渋々歯医者に寄る生活は続く。

 

渡航中止を呼びかける中、キエフに入って救助された大学生にはネット上で怒りのつぶてが降り注いだ。彼はもっと別の道を選択するべきだった、それは私もそう思う。だからたくさん叱られるのは仕方ない。だが、見通しを立てることに失敗しうっかり戦地に入ってしまい、命からがら脱出した彼のことを「平和ボケした大学生」であると匿名で断罪する声の主は、一体どんなところで生活しているのだろうか?これは彼の過去の判断を後から非難した言葉だが、少なくともその言葉が発せられた時点において「平和ボケ」に近い状態にあるのは、明らかに彼ではなく彼を非難する側だと思うのだが。

いま遠く離れた場所で起こっていることと自分自身の距離をどのように取るのかは難しい問題だ。不当に生存を脅かされている人々が大勢いるという事実や攻撃の直接的な映像からは目を覆いたくなり、憤りも感じるが、現状我々自身が戦火に巻き込まれるとまでは考えにくい。おそらく、戦争が起こったことの影響は、資源エネルギーや海産物、小麦などの価格高騰によって我々の目の前に現れることになるだろう。物価の高騰や品薄は困りものだが、それ自体は生活を脅かすほどのものではない。でもそれがこの一連の事象の終着点であるという保証はない。何も想像せずに粛々と日々を送ることも可能だが、合理的に想像できるシナリオならもはや空理空論であると切って捨てることはできまい。これから一体何が起こって、そのことは我々に何をもたらすのか。誰かの受け売りではなくて、自らの想像力を働かせることが必要だ。

2月はここまで。早く桜を見たい。コートも脱ごう。春の歌を歌おう。安らかな春眠を。

2022.1.31

朝のニュースは毎日感染者が増え続けている話題から始まる。そんなことわざわざ起き抜けに教えてくれなくたって、もう前の日の晩に嫌というほど目に入ってきている。なんども聞かなくていい、もっと別の話題を頼む。けれど、最初のニュースが別の話題のときは、確実にもっと悪いことが起こったときだ。そういう意味では、毎日なんの意味を持つのかもよくわからない感染者数を大々的に報じている朝は、今の世の中にあってはごくありふれた平穏な日であると言えるのかもしれない。

どんな理由があれ人を殺すことは許されない。このことは大前提だが、殺人や暴力に関するニュースを見ると、ああ自分もこういうことをするともしかしたら殺されてしまうのかもしれないなとか、殺した人には人生を棒に振っても致し方ないと思うほどののっぴきならない感情があったのかなとか、そういうことを想像したりする。けれども、なんだか最近はそういう背景が全く理解の及ばないものだったり、何ら責めを負うようなことをしていないような人が標的にされたりするようなことが多いように感じてしまう。この2年間で社会がおかしくなっているのか、それとも明るい話題がほとんどないせいで心の痛むことが相対的に増えているように感じてしまうのか、それはよくわからない。でも、日常に潜む脅威が顕在化しやすくなっていて、安心して日常を送りづらくなっているというのは、多くの人が直感的に感じていることなのではないかと思う。もしみんなマスクを外して自由に出歩いたり飲み食いしてもいいという日が来たとしたら、人々のトゲトゲした気持ちもちゃんと丸くなるのだろうか?なんかのキャンペーンじゃなくて、普通の日々を普通に過ごすことで安全に生活できる社会、そんなのはもうユートピアと呼ぶべきものなのだろうか。

1月31日の朝。今日から大規模接種会場が開かれて、前を通りかかったらカメラがたくさん並んでいて、ちょうど中継しているリポーターもいた。なんだか記念撮影みたいだ。前回はワクチンを2回打てばかかりにくくなるのかなとか、これで遊びに行けるかもしれないなとか、少なくともそういう期待感があったが、今は現在地がどこなのかよくわからない。いや、そうではなくて、前回もわかっていなかったのではないか?先には灯りのない道しかなくて、振り返れば通ってきた道はかろうじて見えるといったところだろうか。この文章はここまで意味のあることを何も言っていない。だが、何か意味のあることを言おうとしたところで、現時点ではそれは無責任なものになってしまうような気がする。せめて後から振り返ってああこんな停滞した時期もあったけどまあ楽しいこともあったよねみたいな感じになるといい。そのために日記は役に立つ。来月の終わりにはもう少し明るいことが書けるとよいな。

2021/12/31

 夢。一軒目の酒場を出た後、上司から「浮月」に行こうと言われる。そこは許可された人しか立ち入ることのできない横丁なのだそうだ。言われるがまま付いていくと、古めかしい料亭の並ぶ一角に着いた。遊郭のような場所だと思ったが、性の匂いはしなかった。道の中心に出て写真を一枚撮ったところでその夢は終わった。起きてから、あれは一体どこだったのだろうと考える。「浮月」なんて場所は聞いたことがないし、でもそれにしては雅な名前だと思いスマホで検索してみたら、静岡の徳川慶喜邸の名前が「浮月楼」だということがわかり、それでピンときた。きっと「青天を衝け」の放送の最後に舞台となった場所を紹介するコーナーに出てきたのを見ていたのだろう。草彅剛の徳川慶喜はよかった。演技の善し悪しというよりも、最後の将軍としての佇まいが見事だった。「浮月楼」は庭園の美しい料亭で、結婚式などもできるらしい。今度静岡にいく機会があったら訪れてみることにしよう。

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 2021年は今まででいちばん遠出をしなかった年だった。遠くに行ったのはせいぜい尾瀬と熱海くらいで、ほぼ関東から出ていない。代わりにたくさん映画を観て、たくさんライブに行った。

 私は昔はそんなにたくさん映画を観る方ではなかったが、近年はよく観る。しかも今年は2回観た映画も結構多かった。映画をたくさん観るようになったのは4年ほど前に遠くの県で働いていた頃、仕事が終わっても友達もおらず暇なので「男はつらいよ」を観はじめたところ、あれよあれよという間に全作観終えてしまってからのことだ。車寅次郎みたいなフーテンになりたい。テキヤはそれほどやりたくないが。知らない場所でいろいろな人と知り合い、恋をし、喧嘩もし、本気で誰かの幸せを願える人間はうらやましい。恋はみんなするだろうけど、人のことを想って喧嘩したりとか、怒ったりとか、たまにはそういうことも必要なんだろうと思う。毎年年末に公開されていた頃は、きっとみんな映画館で「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」を観てあたたかい気持ちで信念を迎えていたのだろう。

 そんなわけで今では多くの映画を観るようになったのだが、今年の映画を振り返る上で欠かせないのは濱口竜介監督との出会いだろう。「ドライブ•マイ•カー」も「偶然と想像」も大好きな作品だ。喪失と再生、緊張と緩和、性、車。この2作に加え、幸運なことに濱口監督の過去作もいくつか観ることができた。濱口監督は役者に感情を排した本読みを何度もさせてから演技をすることが特徴だ。「ドライブ•マイ•カー」の作中でも演劇の練習をするシーンで実際にこれをやっているシーンが描かれている。感情を抜いた本読みを繰り返し、本番で初めて感情を入れて演技をしたときに、新たな地平が開けるというメソッドだということだ。

 私は何かの演技をした経験はないから、実際にこれをやったときにどのような感覚になるのかはっきりとわからないが、これにちょっと似ていると思うことがある。それは音楽を聴きつづけていると、ある日突然音楽が自分の身体の中に入ってくる感覚に陥るということだ。

 私が特別に好きなミュージシャンはスピッツandymori、カネコアヤノなどだが、この3つに限って言えば、いずれも初めて聴いてから本当に好きだと思うに至るまで3年くらいかかっている。よくスルメなんて言うこともあるが、通勤中や作業中などに特段の感情もなくただなんとなく聴き続けた曲を、歌詞も覚えたという頃になってから急に好きになることがある。メロディに対しても同じことは起こりうるが、必ずメロディが先で歌詞の方が後だ。それを何曲も繰り返しているうちに、そのミュージシャン自体も好きになっている。きっと、曲には曲にぴったりあう感情があって、曲について覚えたあとで、たまたまその感情になったときに初めて、曲のことを正しく受容することができるのだと思う。そう思えたとき、すでに曲はその時点での自分自身を構成する数多の要素のひとつのピースになっている。

 だから、今聴くことがあって、それほど好きだと認識していない曲についても、もしかしたら来年にはものすごく好きになっているようなこともあるかもしれない。来年もたくさんよい映画や音楽に出会いたい。旅行にもちゃんと行きたい。次の旅行では漠然と寂しい場所に行きたいと考えている。そこで人生について考えることにしよう。

スピッツの「窓」についての一考察~「ワタリ」と『或る崖上の感情』

●NEW MIKKEと「ワタリ」

 6月~9月まで各地を回り、先日劇場・オンラインでの上映を終えたSPITZ JAMBOREE TOUR 2021"NEW MIKKE"。セットリストはコロナにより途中で中止となってしまったアルバムツアーと近かったが、コロナ前のセットリストには含まれていなかった曲で、かつ今回の公演で最も異彩を放っていた曲が「ワタリ」であると言っても過言ではないだろう。

 「ワタリ」は2005年1月にリリースされた11作目のアルバム『スーベニア』の中に収録されている曲で、おそらくライブで演奏されたのは同年のアルバムツアー"あまったれ2005"以来16年ぶりだったと思われる。なぜこの曲が久々にセットリストに選ばれたのかはわからないが、生演奏では聞き慣れぬ疾走感のある前奏が響き渡り、数小節ののちそれが紛れもなく「ワタリ」であると確信するや、私は心に生えた羽でぴあアリーナMMから横浜の海へ飛び立ちたい衝動をこらえるので精いっぱいだった。

 

●「ワタリ」と梶井基次郎『或る崖上の感情』

 「ワタリ」はイントロの疾走感、イントロから連続したテンポだがどこか閉塞感があり悶々とした表情のAメロ、その後「もう二度と会えないそんな気がして」と来た後で、急に視界が開けたように「心は羽を持ってる この海を渡ってゆく」だけの短いサビ。この曲の中で私が好きなのは、この後の2番の冒頭の歌詞で日常のシーンに戻って「寂しい黄昏に泣けるぜいたく」(かなり詩的だ!)に続く「電車の窓から見かけた快楽」というフレーズだ。私がなぜこのフレーズを好きなのかと言うと、スピッツの歌詞によく登場する「窓」という単語の意味を解釈するひとつの手がかりが、「ワタリ」の「窓」にはあると考えているからだ。

 「電車の窓から見かけた快楽」とは、一体どのような意味なのだろうか?このフレーズを聞いて思い出すのが、梶井基次郎の小説『ある崖上の感情』(1931)である。この小説の中には、窓を通してその中にいる人間を眺めることを趣味としている青年生島と、彼の話をカフェで聞く青年石田が登場する。生島は冒頭のシーンで「僕が窓を見る趣味にはあまり人に言えない欲望があるんです。それはまあ一般に言えば人の秘密を盗み見るという魅力なんですが、僕のはもう一つ進んで人のベッドシーンが見たい、結局はそういったことに帰着するんじゃないかと思われるような特殊な執着があるらしいんです。いや、そんなものをほんとうに見たことなんぞはありませんがね」と語る。これを聞いた石田は「それはそうかもしれない。高架線を通る省線電車にはよくそういったマニヤの人が乗っているということですよ」と返す。「電車の窓から見かけた快楽」というのは、この小説で言及されているような「電車の窓から見えた家の窓の中にベッドシーンを認める」ということなのではないだろうか。

 この小説が書かれた90年前の状況と現代を同じ尺度で比べていいのかという問題はさておいて、電車の窓からそんなものを見ようとする人って本当にいた、あるいは、現にいるのだろうか?倫理的なことはすべて棚に上げ、もし自分がそのマニアになったと仮定して、毎日電車から窓の外を凝視したとしても、おそらくそんなシーンに出会うことはないだろうし、幸運にもその行為の最中で、かつ隠されていない窓の横を通ったとしても、時速数十キロ出ている電車の窓からは、それが求めていた行為だとはっきり認めることは難しいだろう。そう考えると、「電車の窓から見かけた快楽」というフレーズの中には、普通は見えそうにないものが奇跡的に見えた、というニュアンスも含まれているような気がする。

 ちなみに、「ワタリ」の歌詞は「寂しい黄昏に泣けるぜいたく 電車の窓から見かけた快楽」に続いて「寂しい黄昏に泣けるぜいたく ガクに収まった世界が軋む」となっており、「窓」と「ガク」は対応する関係になっている。「それでも掟を破っていく 黒い海を渡っていく」というサビを前に、ベッドシーンを見かけた「窓」は世界を切り取る静的な存在から、動きを持つ存在へと変化していく。

 

●「ワタリ」の「窓」と「無常感」

 『ある崖上の感情』では、石田青年は最初は窓を覗くことにさほど興味を持っていなかったのに、後から生島青年の話がどうしても気になってしまい、日がな生島青年から教えられた崖の上を訪れ窓の中を覗き見ることをやめられなくなってしまう。ある日、彼は眼下に広がる複数の窓の一枚の中に、まさしく自分が求めていたベッドシーンが展開されている姿を目撃する。だが、これと同時に、別の窓の中に人が死ぬ瞬間を発見してしまう。この2つの瞬間を同時に目にしたとき、生島青年は「もののあわれ」というような気持を超した、ある意力のある無常感」を覚える。すなわち、窓の中を覗くことは巨大な「無常感」の存在に触れることであり、その構成要素を代表するものとして作中で挙げられているのが「セックス」と「死」なのだ。

 スピッツ好きの方なら既にお気づきかもしれないが、「セックス」と「死」といえば、1994年5月「空も飛べるはず」をリリースしたころのロッキング・オン・ジャパンのインタビュー上で草野マサムネ本人が「すごく単純に、俺が歌を作るときのテーマって、"セックスと死"なんだと思うんですよ」と発言していることと共通性がある。これは、「セックス」も「死」も、子供のときは畏れの対象であり、大人になるにつれてそれに対する捉え方は変化していくけれども、だからといってはっきりと理解することはできないものであり、故に物語や曲の対象となり続ける、という文脈での話だった(蛇足だが、この発言を踏まえると、最近の曲では「死」のベクトルが強まり、「セックス」は相対的に主題になりづらくなっていると解釈できるかもしれない)。

 上記のことを踏まえると、「ワタリ」の中での「電車の窓から見かけた快楽」とは、「セックス」や「死」によって構成される「無常感」に偶然触れてしまったということ、そしてその「無常感」は「ガクに収まった世界が軋む」というフレーズによって「窓」から解き放たれ、「無常感」を世界を見る物差しとして獲得してしまった、という意味だと考えられるのではないだろうか。そしてこのことが、心に生えた羽で海を渡ることができるというサビの歌詞の動力となっているのだと、私は解釈する。また、ここではほとんど触れなかったが、「寂しい黄昏に泣けるぜいたく」のように、自分の感情と正しく向き合うための条件のひとつだったのだろう。

 

スピッツ「窓」の分類

 『或る崖上の感情』を起点に考えると、「ワタリ」以外にもスピッツの曲の中で頻繁に登場する「窓」という単語の中にも、「セックス」や「死」を内包した移ろいゆく「無常」との邂逅を果たす場所としての意が込められているのではないかと想像できる。だが、装置としての「窓」に働く力は常に同一のものではない。複数の曲に登場する複数の「窓」について考えるためには、「窓」をめぐる権力関係、すなわち、自分自身が「窓」の外側にいて中を見る、または中から外側を見る主体側なのか、それとも「窓」の内側にいて外から見られる、または外にいて内側から見られる客体側なのかについて注意深くならなければならない。また、このとき「窓」は開かれている(外とつながっている状態)のか、閉ざされている(外とつながっていない状態)のか、閉ざされていてかつ外と中では視界が遮られているのか、など多様なパターンがあり得る。

 この視点に留意しつつ、下の表に分類を行った。分類は私の直観に基づいて行ったにすぎないので、別の人が同じ作業をすれば別の結果になることもあり得る。数が多いため、見落としてしまっている曲もあるかもしれないので、気づいた方がいらっしゃったら教えていただけると嬉しい。

【表:「窓」が登場する曲とその状況】 

曲名 フレーズ 主客 窓の状況 備考
死に物狂いのカゲロウを見ていた ピカピカ光る愉快な顔の模様が浮かんだボールがポタポタ生まれ落ちては心の窓ガラスたたいている 中にいて外から叩かれる  
ニノウデの世界 窓から顔出して笑ってばかりいたらこうなった 中から外を見ている この後窓から落ちる
鈴虫を飼う 色のない窓をながめつつもう一度会いたいな 外から中を見ている  
田舎の生活 さよならさよなら窓の外の君にさよなら言わなきゃ 中から外を見ている 不明  
アパート 一人きりさ窓の外は朝だよ壊れた季節の中で 中から外を見ている 不明  
日なたの窓に憧れて ・君に触れたい君に触れたい日なたの窓で
日なたの窓に憧れてたんだ
外から中に侵入したい  
サンシャイン すりガラスの窓をあけた時によみがえる埃の粒たちを動かずに見ていたい 中から外の光を使って
中を見ている
閉→開  
あじさい通り でもあの娘だけは光の粒をちょっとわけてくれた明日の窓で 外から中を見ている 不明 「窓」と「時間」の接合
ロビンソン いつもの交差点で見上げた丸い窓はうす汚れてる 外から中を見ている  
グラスホッパー 桃の香りがして幸せ過ぎる窓から投げ捨てたハイヒール 中から外に投げる  
流れ星 流れ星流れ星本当の神様が同じ顔で僕の窓辺に現れても 中から外を見ている  
心の底から すすめ!まだまだ明日をあきらめないできっとどこかで窓を開けて待ってる 外から中だが場所が
わからない
 
ワタリ 電車の窓から見かけた快楽 外の窓から中の窓を
見ている
動いている「窓」
会いに行くよ 君が住む街窓から窓へ見えない鳩解き放つ 中の窓から別の中の窓へ 「窓」をつなぐ「鳩」
何も無かったよ巡り合えた理由などやっと始まる窓辺から飛び立つ 中から外に移動する  
聞かせてよ 蝶の羽が起こすくらいの弱い風受けて小さすぎる窓から抜け出せる時が来る 中から外に移動する 「窓」の大きさが体感的に変化
モニャモニャ やがて雨上がり虹が出るかも小窓覗こう 中から外を見ている  

 

 表からわかるように、歌詞での「窓」の使われ方は多様であり、当然ながらその意味も曲によって異なり、一意に別の単語で翻訳できるものではない。「窓」そのものの形質は、よくある普通の窓と思われるものもあれば、「色のない窓」や「すりガラスの窓」など、存在はしているものの中と外が遮蔽されていると思われるものもあるし、「きっとどこかで窓を開けて待ってる」のように場所が明らかでない場合や、「明日の窓」のように「窓」が時間をつなぐ概念として登場する場合もある。

 「ワタリ」のような「無常感」の観点では、「ニノウデの世界」ではこのあと「窓」から落ちてしまうことから「死」を連想するし、「グラスホッパー」の「桃の香りがして幸せ過ぎる窓」からは「セックス」を連想する。また、「流れ星」の「窓」は「神様(=人間を超越した意力を持つ存在)」との接点として位置づけられており、少なくともこれらの曲の「窓」は比較的わかりやすく「無常感」に近いものであると考えていいように思える。

 今回は検討の対象に含めなかったが、「日なたの窓に憧れて」や「モニャモニャ」の「窓」「窓」が通す「光」の意味(強さや時間帯、天候)にも注目すべきかもしれない。本来であれば曲ごとに個別に分析を行いたいところだが、これをやろうとすると卒業論文よりも多い文字数が必要となってしまうことは確実であるので、今回はこのあたりでお開きとしたい。

 これを読んでくださった皆さんも、上の表やプレイリストから各曲の「窓」がどんな意味を持つのかを考えてみるときっと楽しいのではないかと思う(もちろん「窓」にこだわらず、「神様」などのように他の曲によく出てくる別のフレーズでも同じことだ)。その結果、新たな視点を発見された場合は、ぜひコメントとしてシェアしていただけるとこの上ない幸せである。今後発表される曲でも、もっともっと多くの「窓」を通して、未知の世界と遭遇できることが楽しみでならない。

負える重荷

クールビズ期間が終わってからジャケットを着て通勤するようになったので、代わりにカバンを持っていくのをやめた。ポケットの中に鍵と財布にスマホとイヤホンと文庫本を入れるのでわりとかさばるが、両手が空くから楽だ。荷物を持って行く場所は目的があって行く場所だけれども、手ぶらで行く場所はふらっと行く場所だという気がして、まさしく肩の荷が軽い。軽いというよりそもそもなくなるのでさらによい。

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友人から、友人の恋人は自分が結婚に向いていないのではないかと考えているために結婚に踏み切れないでいるようだと聞いた。結婚に向いているかいないかという二択を選ぶなら、結婚に向いている人など果たしているのだろうか。ひとりで暮していれば何をするにも自分の気分で決めることができるが、人と一緒に暮らせばなんでも気ままになどというわけにはいかないのだから、簡単なことではない。配偶者だけでなく子供がいればなおさらそうだ。自分の行動を決める基準において、自分自身を不動の一位から引きずり下ろさなければならないのだから不自由さを伴うことは間違いない。他人と生きていくということは、互いが互いの行動を牽制しながら生きていくということなのだろうから、誰しも向いてはいないのではなかろうか。

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私は元来粗暴で性悪な人間だが、年を経ることで獲得してきた理性によってなんとかそれを抑制しているため、周りからは比較的親切で穏やかな人間だと思われることの方が多い。ところが、どうしてもそういう取り繕いが上手くいかないこともあって、頭で思うのは仕方ないにせよ絶対に言葉にすべきではないことをときたま言葉にしてしまう。覆水が盆に返ることはない。荷物がなくとも、誰かに束縛されなくとも、積もる後悔だけは背負いながら生きてゆかねばならない。罪深いことだ。

2020(3/4)の記録

○1月
寒かったのか暖かかったのかもあまりよく覚えていない。この頃はしょっちゅう映画を観に行っていた。『さよならテレビ』『わたしは光をにぎっている』『パラサイト』『音楽』『家族を想うとき』など。ちょっと前はFilmarksに記録を残すようにしていたが、いつの間にかやめてしまった。一旦やめてしまったものをまた始めるのはとても大変なことだ。それから、Gateballersのライブに行ったが、今のところこれが今年行けた唯一のライブとなっている。

○2月
連休をとって岡山・四国に出かけた。寝台列車はよい。岡山では猫がたくさんいる島と水仙が咲き乱れる島を訪れた。平日でほとんど人がおらず、灯台の下のベンチで空と瀬戸内海と水仙だけを眺めながら昼寝をした。この日が気兼ねなく旅ができる最後の日であった。翌日、徳島で開催される酒まつりに行くことにしていたが、目的地に着いた駅前の看板でコロナウイルスの影響により中止となったことを知らされた。はるばる東京から来たのに残念なことだと思ったが、むしろ東京からわざわざやって来る私のような人間がいるからこそ中止になったのでもあると考えると、なんともやり切れない気分だった。ほかには大歩危、室戸や仁淀川、松山あたりをまわったがどこも心が落ち着くよい場所であった。

○3月、4月
帰京した直後から空気が一変した。2週目頃からコロナウイルスの蔓延に伴って徐々に仕事も忙しくなり、下旬にピークを迎えた。残業が増え、休日も出勤を余儀なくされるなどかなり過酷な状況であった。この頃の細かいことがあまり思い出せない。日々の移り変わりがあまりに激しかったので、あるできごとに焦点を当てようとしてもその時点での外部環境がどのようであったのかを遡って把握することが困難になってしまった。

○5月
別の県に転居した。前に住んでいたところよりも田舎で、それ自体はよい(とはいえ、前に住んでいたところよりも今のところの方が田舎だと言うと、今住んでいるところの人々は怒るだろう)のだが、最寄りのスーパーが20時で閉まることには閉口した。コロナウイルスの影響による時短営業かと思ったが違った。ある日、帰りに間違えて最寄り駅を通過する電車に乗ってしまったところ、通過してから10分も経たないうちに車窓は田園地帯となった。田舎はよいが、田舎から都心に通うのは骨が折れる。田舎に住んで田舎で働きたいと思った。

○6月
安いレコードプレーヤーを買った。レコードが再生されるのを眺めていると心が落ち着く。最近はLPを出すアーティストも多いので、今後はLPを中心に買っていきたいと思う。中古レコード店に行って、古いレコードを買ってくるのも楽しい。オフコースのレコードを買ったらポスターが封入されていた。若かりし小田和正のポスターを部屋に飾るのも洒落ている。昔のレコードのライナーノーツは読んでいると笑ってしまうようなものもあるが、今と違ってYouTubeもない時代ではこの文章が売上を大きく左右していたのだろうと思うと、渾身のプロモーションはもっと丁寧に読んであげるべきなんだろうという気になる。

○7月
印度カリー子さんの本を買ってきてカレーを作るようになった。いちばん入門的な本を買ってきたが、これはかなりシステマチックにカレーを作れる代物なので誰にでも簡単に作れる。どのカレーも玉ねぎ、トマトなどからグレービー(要するにカレールーのようなものだ)を作り、このグレービーとほかの具材を組み合わせることで様々な味のカレーが作れるようになる。簡単であるにも関わらず日常で作るカレーの味としては文句の付けようもなく、若くしてこのような本を世に送り出した鬼才が恐ろしくも思えてくる。

○8月、9月
結局夏らしいことをした記憶がない。この頃になると半年弱続いた多忙な状況からはようやく解放されたが、反動からか仕事にあまり身が入らない。平時ではだいたい70%ほどの力配分で労働を行っていたが、長期間それを200%にすることを余儀なくされたため、この頃は体感でいうと40%ほどの出力しか得られなかった。 メンタル的にも近年の中でいちばん不調で、感情をコントロールすることが困難であったように感じる。ここ数年の間にだいぶ自立心が養われたと思っていたのだが、とんだ思い上がりであった。心身を回復するため、速やかに島か温泉に行くことが求められている。東京は東京でよいこともたくさんあるが、自然が豊かなところのほうが性にあっていると感じる。3年ほど北海道か九州に住みたい。