1年前の今頃の日記その3 シャングリラ

朝起きてチェックアウトしようとすると、宿の小姐が「時間があるならお茶でも飲んでいきなよ」と言うので、テラスに上がって共に茶を飲んだ。雲南のお茶はとても濃く、最初に器に注いだお湯は全て捨て、2杯目から飲むらしかった。ちなみにプーアル茶雲南の茶だ。

小姐は少し英語が話せるようで、私たちは片言の英語でしばし雑談をした。これからどこに行くだとか、前にこの宿にやってきた日本人の話をしたり、互いのあいさつや数字の発音の練習をした。小姐は中国の宿がたくさん載った、使い込まれてボロボロになったガイドブックをくれた。指差し会話帳を見ながら「お世話になりました、どうもありがとう」と言うと、どうやら通じたようで笑いながら「いえいえ」と返された。

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宿を出た私はバスターミナルへと向かった。バスのチケットを買うためには窓口で行先を告げる必要があったから、「~まで1枚」というフレーズだけ何度も練習した。その甲斐あって行先は伝わったものの、その後になんだかよくわからないことを言われたので適当に受け流した。どうやら事故に遭った時の保険をつけるかどうかを聞いていたようで、保険付きのきっぷが発券された。保険は不要だったのでその後きっぷを買う時は「保険は不要」というフレーズを付け足した。旅の途中で覚えた唯一の中国語だ。

バスには4時間ほど揺られた。もちろん日本の高速バスのような座席ではなく、幼稚園バスのような硬い座席だ。座席は窮屈だったが、日本では目にすることのない形の山や草原などを眺めていると退屈はしなかった。標高1,800mの麗江からさらに山道を登り、着いたのは標高3,000mほどの香格里拉(シャングリラ)というまちだった。高山病が心配だったので、念のために登山のときによく使われる漢方薬を飲んでおいた。さすがに空が近く感じた。

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香格里拉では日本で見た旅行記に載っていた宿に泊まるつもりだったが、探しても見当たらなかったのでドミトリーに泊まることにした。ドミトリーで同室だった中国人の学生と夕飯に行くことにした。彼が別室にいた上海から来た学生カップルも一緒に誘い、4人で鍋を囲んだ。一人旅では大皿に入った料理を食べることは出来ないからありがたかった。カップルの男のほうが「俺の彼女、かわいいと思うか?」と聞いてきたので、「そう思うよ、日本でもモテる」と返したら女の子の方は照れていてとてもかわいかった。

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食後は皆で近くにあったチベット仏教の寺院に行った。シャングリラはチベット自治区に隣接したまちで、住民のほとんどはチベット族だった。チベット仏教にはマニ車という中にお経が入った筒のような仏具があって、これを1回回すとお経を1回読んだことになるらしかった。この寺院にはこのマニ車を巨大にしたもの(下写真左)があって、10人がかりでがんばってようやく回るものだった。チベット仏教のことはよくわからないが、見知らぬ人とマニ車を回していると不思議な気持ちになった。f:id:bluepony:20170221221320j:plain

1年前の今頃の日記その2 麗江にて

朝起きて8時頃にホテルを抜け出した。腹拵えをするつもりで古い街をフラフラしていたが、まだどこも開いていない。1時間ほど歩いてから、街外れの薄汚い路地の一角にある小さな食堂に入った。食堂と言っても少し大きな屋台のようなものだった。壁に書かれたメニューを見て、言葉が話せないので適当に指を差して注文した。私が外国人だとわかると、店員の女性が辛さはどうするかと聞いてきた。私は、あまり辛くしないでくれ、と頼んだ。全く話せないのにどうやってこんなやり取りをしたのかちっとも覚えていないが、確かにそんなことを言った気がする。ほどなくして、白飯の上に豚肉とナスとピーマンをかなり辛く炒めたものを乗せた料理が運ばれてきた。通じていなかったのかと思ったが、これでもかなり抑えていたようだった。

腹拵えの後は黒龍譚公園という景色の良い公園まで歩いた。公園で中国人カップルに写真撮影を頼まれたので、適当にイーアーサンと言ってシャッターを押してあげたら、礼を言ったあと外国人だとは気がつかないまま去っていった。天気がよく、公園の背後には玉龍雪山という富士山よりもずっと高い山がはっきりと見えた。

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その後はレンタサイクルを借り、少し離れたところにある古い街並みを2箇所ほど回った。宿のある街と比較すると人も少なくだいぶ落ち着いた場所で、こちらのほうがずっと居心地が良かった。

 

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日が暮れる頃に宿に戻り、夕飯は街の中の屋台で取ることにした。珍しかったので、ナスに切り込みを入れてその間に厚揚げやらひき肉やらを詰め込んだものを指差して注文した。そのまま焼いて食べるのかと思ったが、焼く際にはコテを使ってすべてみじん切りのようにして食べるようだった。喉が渇いたので、味の薄いビールを買って飲んだ。一度も日本語を使わない日は、生まれて初めてだったように思う。

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1年前の今頃の日記 その1

1年前の今日の日記を、思い出しながら書いてみようと思う。旅に出た日のことだ。

 

二日酔いのまま、早朝にカプセルホテルをチェックアウトして空港へ向かった。

慣れない国際線だが搭乗手続きをなんとか済ませ、ロビーでTwitterを開いて「今からしばらく旅に出ます」と呟いてから北京行きの飛行機に乗り込んだ。

離陸からしばらくして機内食が運ばれてきた。ジャガイモ入りのソース焼きそばだったと思う。味は濃いし、ジャガイモは固いしであまり美味しくなかったが、なぜだか今でも時々食べたくなる。

機内食を片付けた頃、隣席の青年に声を掛けられた。彼は日本の専門学校に通う留学生で、休暇で実家に帰るところだった。私が中国を訪れるのは初めてで、中国語も話せず、しかも北京や上海ではなくこれから雲南省に行くのだ、と知った彼は、「それはちょっと心配、気をつけてね」と言った。加えて「中国の土産には偽物が多いから注意するように」とも忠告した。彼は北京首都国際空港のゲートまで私を見送ってくれ、そこで手を振って別れた。

乗り継ぎまで6時間ほど時間を潰す必要があったため、現金を下ろしてから天安門広場へと向かった。地下鉄きっぷを自販機で購入しようとしたが、何度入れても紙幣が戻されてしまった。後ろに並ぶ人に何か声を掛けられるが、ちっとも意味がわからない。仕方がないから窓口で、路線図を指差してきっぷを買った。あとで気がついたが、どうやら私が高額紙幣を投入していることが原因のようだった。

天安門は写真でよく見るとおりの場所だった。周りを歩いたら満足したので、中には入らず空港まで戻った。空港でラーメンを注文した。猪骨というから猪なのだろうと思ったが、豚のことだった。再び飛行機に乗り込んで、麗江というまちに到着した。

空港からのシャトルバスを降りて宿まで向かった。麗江はナシ族という少数民族が多く住んでいるまちで、古い街並みは世界遺産にも登録されている。古い街は複雑に入り組んでいて、ネット環境のない私にとってゲストハウスの場所を見つけるのは至難の技だった。結局同じ場所を何度もうろうろして、2時間ほど彷徨った末にようやく宿を探し当てた。ベッドに転がってネット接続を試みたが、LINEもTwitterFacebookも一切繋がらなかった。ひどく疲れたので、その日はシャワーを浴びてすぐに眠りについた。

 

 

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弱み

 地元に住んでいる中学生以来の友人たちが、私の住んでいるまちを訪れてくれた。美味しいものをたらふく食べ、酒を水のように飲み、二日酔いになりながらいくつかの観光地を適当に回った。とても楽しい、懐かしい時間だった。

 帰る友人たちを見送りに空港まで行った。空港で誰かを見送る側になるのは初めてのことだった。手を振りながら、私も友人たちと共に地元のまちまで帰りたいと強く思ってしまった。最近、独り言でもよく、帰りたいと口にしてしまうから、よくない。

 私は自らの意志で東京を離れ、田舎のまちに住むことにしたはずなのだから、そのような気持ちを抱くべきではない、と思う。とはいえ、自らの選択自体を後悔しているわけではない。自分自身がこの場所に存在しているということに納得することと、折に触れて帰りたくて仕方がなくなることは、共に成り立つ感情なのだ。

 友人たちに囲まれて暮らしているときは全く気が付かなかったが、ひとりでいるとよくわかるのは、自分自身がとてつもなく弱い人間だということだ。

霜月

 11月に入ると同時に気温が急激に下がり、もう冬だという声を聴くようになった。今住んでいるところは昨年までいたところよりはだいぶ暖かいから、街中でもうコートやマフラーを纏った人を見かけて少し驚いた。きっと寒いと感じたときからが各々にとっての冬だから、冬は長い季節だ。そして冬に飲み込まれかけている11月は影が薄い。

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 霜月と聞くと国語の教科書に載っていた『モチモチの木』という話を思い出す。山小屋でおじいさんと少年が暮らしていて、そこにはモチモチの木と名付けられた大きなトチの木がある。おじいさんは少年に「霜月二十日のうしみつにゃあ、モチモチの木に灯がともる。起きててみてみろ」と言うのだが、少年は夜闇が恐ろしくて近づこうとしなかった。そんなある晩、おじいさんが急な腹痛を訴え、少年は走ってふもとまで医者を呼びに行くことになる。その時モチモチの木を見上げると、木に雪灯が明るくキラキラと輝いていた、というのが簡単なあらすじだったように思う。私は国語の教科書のこの話が好きだったから、トチの木もトチの実も好きだ。栃木県に行ったとき、ほんとうにトチの木がたくさん植えられていたので愉快だった。それにしても、やはりこの話でも秋から冬に移り変わる時として霜月が扱われているし、もしかしたら霜月は端から冬なのではないかという気になってくる。

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 私が住んでいるところでは今日まで大きな祭りがあって、びっくりするぐらい多くの人が訪れていた。電車の本数も連結される車両の数も増え、祭り専用の臨時駅まで設けられた。たくさんの気球が集まってきて、飛んでいった。祭りが終わって、明日からは再びいつもの味気ないまちが戻ってくると思ったら、いつの間にか目抜き通りの街路樹にはイルミネーションが取り付けられていた。都会のものとは違う、野暮ったさの抜けない電飾だ。私は未だこのまちを構成する人間にはなりきれていないから、どうしてもまちの風景にいちいち違和感を覚えてしまう。別段イルミネーションが好きというわけでもないのに、不思議なことだ。いつの日か、このまちの光景を自分に馴染むものとして受け入れられる日が来るのだろうか。もしかしたら、その前に、またどこかに住処を移すことになるのかもしれない。寒いと人肌恋しくなるせいで、余計なことを考えてしまう。

25の秋の破片 その1

 月の数字がひと桁増えて、ようやく暑さが姿を消した。空と風は秋がいちばん心地よい。住んでいるまちは稲刈りが遅くて夕陽がきれいなところだから、今がまさに秋の装いといった様相だ。

 先日、ひとつ歳を取った。歳を取ってもその年の抱負を考えることもなくなったし、そんなことを人から尋ねられることもなくなったから、大人になったのだと思う。奇しくも誕生日は健康診断に行くことになっていた日で、ひとつ歳を取った体の中を検査した。前日の夜から何も食べていなかったから、誕生日に初めて口にしたのはバリウムだった。健康診断が終わってからは自転車で少し離れたショッピングモールに行って、ハンバーグを食べてから映画を見た。人を信じて失敗する人と、人を信じられずに失敗する人が出てくる映画だった。そのあとで楽器屋に行って、アコギを買って帰ってきた。毎日家ではあまりすることがないから、同居人になってもらおうと思ったのだ。まだあまり上手くは話せないが、それでもときどきは綺麗な音を奏でてくれて、一緒にいるのが心地よい。

 これまた先日、乗っていた列車が突然止まった。工事現場の足場が線路に崩れたらしい。私はイヤホンで音楽を聴きながら最近見た映画の小説版を読んでいたから、しばらくそのことに気が付かなかった。イヤホンを外すと車内放送があって、今から送電を止めるから全員外に出るようにと言われた。2両編成の電車に乗っていた乗客たちは、何もない無人駅に放り出された。初動が素早い者は手際よく駅前に着いていたタクシーを拾い、またある者は乗り換えがある2つ先の駅に向けて歩き出した。大多数の者は電車が動き出すのを待っていて、私も当初そうしていたが、どうにも動き出す気配がない。だが、こういうときは一人旅で培った勘が働く。Googleマップを見ると20分ほど歩いたところに国道が走っていて、その脇にニトリがあることがわかった。店のページを検索してアクセス方法を調べたところ、どうやらバスでも行けるらしい。小さい山を越えて国道沿いの停留所に着いたのとほぼ同時に、目的地のそばまで向かうバスが滑り込んできた。なんということのないただの移動が小さな旅になった。

 特に意味はないが、ブログのタイトルを変えた。以前のタイトルは好きなフレーズだったが、断片を綴るだけのブログには似合わないと思ったからだ。できるだけブログは意味のない文章を書く場所にしたい。

長月

 夏場は水不足が懸念されていたが、暑さも峠を越えた頃からは雨が降り続くようになった。稲刈りが間近に迫って田も黄金に染まりはじめ、少々であれば恵みの雨となるが、これ以上長く雨が降り続くようだと収穫にも影響を及ぼしてしまうかもしれない。食べ物や愛を与えるのと同様で、何事にも適度な量があって、少なすぎたり多すぎたりしてしまうとすぐに綻びができてしまう。綻んだものはどんなものでも、直すのには時間がかかるし骨も折れる。

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 十五夜の日も相変わらず雨が降っていた。幼いころは十五夜に月を眺めながらもちを食べるのが楽しみだったが、いつの間にかそんなことは気にも留めなくなってしまっていた。季節の行事は現代になるにつれ忘れ去られるのと同様、子供から大人になるにつれても忘れ去られていく。

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 不思議なもので、先月は東京にはしばらく行かないだろうと思っていたのが、もうじき行くことに決まった。取り立てて用があるわけでもないし、東京に帰属意識があるわけでもないから、なぜそうしようと思ったのかについては合理的な説明が得られていない。だが、もし台風の影響で予定がキャンセルになってしまったのだとしたら、それはとても悲しいことだと感じられるに違いない。要するに、私はどこの土地にも縛られたくないし、自分の意志で絶えず移動し続けていたいだけなのかもしれない。