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町に別れを告げるのが怖い

  6年間通った大学を卒業して、今住んでいる町からも引っ越すことになった。高校を出たてでこの町にやって来たときには考えもしなかったが、今はここを去ることが寂しくて仕方がない。

 大学生活はそれなりに楽しいものだった。学年が若いうちは、夜な夜な友人たちと延々非生産的なことを語り合って時間を溶かした。そのうちそこに酒も加わるようになり、何度か苦い思い出も経験した。人生の目的地がどこにあるのかてんで検討もつかなかった私たちは、やはり目的地がわからないまま闇雲に自転車で走ったりもした。キャンパスは都会と田舎が混在したような郊外にあったから、大学を抜ければだだっ広い田園地帯が広がっていた。私たちはそこで景色のよい場所を探したり、少し離れたおいしいラーメン屋まで遠征したりした。新しいショッピングモールができると、誰よりもはやくそこを訪れようとした。古い商店街ではずっとこの町に暮らしてきた人々とも親しくなった。大学での講義はその多くが期待に反して退屈なものだったが、この町で暮らすのに退屈だと思ったことはなかった。そんな町を離れるのだから、やはり後ろ髪を引かれる思いを隠し切れない。

 同じ時期に入学した友人たちのほとんどは、私よりも早くここを離れ、すでに東京やそれぞれの地元で暮らしている。一方で私は大学に残って研究を続けることを選んだから、夜が明けるまで遊び歩くなんてことはもうなくなってしまった。だが困ったことに、場所と記憶は分かちがたく結びつくものだ。かつて友人が住んでいた場所や、はじめて付き合った人とよく通った店などを訪れると、今でも当時のことを思い起こさずにはいられない。初めて親元を離れひとりで暮らしたのも、初めて異性と夜を明かしたのも、初めて酒を飲んだのも、初めて研究というものをしたのも、すべてこの町だった。今では至るところに私や君や友人たちの思い出が笑っているから、ずいぶん住みにくい町だとも思うし、その反対にこの上なく居心地のよい町だとも思う。大事な記憶と結びついた場所から離れたくないのは、ここから離れることが、同時にそんな思い出を放棄することになりかねないのではないかと思ってしまって、そうなることがとても怖いからだ。