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隠遁

 梅雨が明けると同時に、東京の家を引き払って、田舎へと引っ越した。もともと東京に長く住む予定はなかったから、梅雨明けは都合のよいタイミングだった。新しいまちは、きっと多くの人が名前を耳にしたことのあるまちだが、その印象を問われると何も出てこないような、影の薄いところだ。実際にまちには活気がなくて、空気も心なしかどんよりしている。ただ、東京と違ってそのぶんだけ何もかものんびりとしているから、ただ日々を送ることに捧げなければならない体力は少なくて済む。贅沢を言えば足りないものはいくらだって思いつくが、考えてみてば、何かを飾る必要などここにはないのだ。何もないが、べつに何もいらないのだ。キラキラしたものも、煩わしい人間関係も、すべて都会の団地のゴミ箱に捨ててきたから、とても身軽だ。

 つい何日か前に、東京には台風がやってきたそうだ。こちらでもテレビをつけていると、しきりにやれ都内の電車が運休になっただとか、どこそこの川が氾濫しただとかのニュースが流れていた。私の住む街ではいつもどおり焼けるような暑さが続いていたから、画面の向こうにある世界はなんだかとてつもなく遠い場所にあるように思われた。私も先月まであの場所にいて、もしこのまちに引っ越さなければ台風の渦の下にいたはずなのに、なんだか不思議な気分だった。その時、東京には行こうと思えばいつだって行けるはずなのだが、しばらくは訪れることもないのだろうと悟った。