霜月

 11月に入ると同時に気温が急激に下がり、もう冬だという声を聴くようになった。今住んでいるところは昨年までいたところよりはだいぶ暖かいから、街中でもうコートやマフラーを纏った人を見かけて少し驚いた。きっと寒いと感じたときからが各々にとっての冬だから、冬は長い季節だ。そして冬に飲み込まれかけている11月は影が薄い。

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 霜月と聞くと国語の教科書に載っていた『モチモチの木』という話を思い出す。山小屋でおじいさんと少年が暮らしていて、そこにはモチモチの木と名付けられた大きなトチの木がある。おじいさんは少年に「霜月二十日のうしみつにゃあ、モチモチの木に灯がともる。起きててみてみろ」と言うのだが、少年は夜闇が恐ろしくて近づこうとしなかった。そんなある晩、おじいさんが急な腹痛を訴え、少年は走ってふもとまで医者を呼びに行くことになる。その時モチモチの木を見上げると、木に雪灯が明るくキラキラと輝いていた、というのが簡単なあらすじだったように思う。私は国語の教科書のこの話が好きだったから、トチの木もトチの実も好きだ。栃木県に行ったとき、ほんとうにトチの木がたくさん植えられていたので愉快だった。それにしても、やはりこの話でも秋から冬に移り変わる時として霜月が扱われているし、もしかしたら霜月は端から冬なのではないかという気になってくる。

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 私が住んでいるところでは今日まで大きな祭りがあって、びっくりするぐらい多くの人が訪れていた。電車の本数も連結される車両の数も増え、祭り専用の臨時駅まで設けられた。たくさんの気球が集まってきて、飛んでいった。祭りが終わって、明日からは再びいつもの味気ないまちが戻ってくると思ったら、いつの間にか目抜き通りの街路樹にはイルミネーションが取り付けられていた。都会のものとは違う、野暮ったさの抜けない電飾だ。私は未だこのまちを構成する人間にはなりきれていないから、どうしてもまちの風景にいちいち違和感を覚えてしまう。別段イルミネーションが好きというわけでもないのに、不思議なことだ。いつの日か、このまちの光景を自分に馴染むものとして受け入れられる日が来るのだろうか。もしかしたら、その前に、またどこかに住処を移すことになるのかもしれない。寒いと人肌恋しくなるせいで、余計なことを考えてしまう。