夢と憑依は似ている

  夢を見た。私は大学の小さなゼミ室に座っていて、隣には男子学生がもうひとり座っていた。しばらくすると部屋に教授が入ってきた。教授は私が学生の頃実際に授業を受けていた人物で、南インドをフィールドとする人類学者で、ヒンドゥー寺院のそばに住む不可触民の老婆に亡くなった彼女の先祖が憑依する様子について説明したあと、近代化が進む中で現地の若い人たちが憑依という現象の存在を否定するようになっていることなど現代的な文脈との関わりについて話してくれた。当然だが私は憑依が起きる現場を見たことなど一度もないので、若者たちと同じく本当にそんなものが存在するのか、ただの老婆のハッタリではないのかという疑念を抱いた。教授は人間の精神の深層についてもっとよく考えるようにとだけ言ってこの話を終わらせた(※憑依という言葉の意味がわからない方は、要するにイタコのことだと思ってもらえればだいたい合っている)。

 話のあと、教授は私たちに対して、君たちはどのような論文を書きたいのだと問うた。先に答えたのはもうひとりの学生だが、教授にとってはあまりピンと来なかったようだ。続いて私の番になったが、何も考えておらず咄嗟に口から出たのが「誰かに理解されるよりも、よくわからないけれど面白いと思われるようなものを書きたい」という答えだった。読み手に理解できない論文など価値を持たないことは明白で、この答えは答えになっていないに違いなかった。だが教授は頷いたあとで、「自分が好きなことで面白いと思われなさい」と言って部屋から出ていった。それでゼミが終わり、この夢も終わった。

 この教授は私の指導教官ではなかったし、そもそも所属していた学部も違ったが、今でも不思議なことに時々夢に出てきて助言をくれる(毎回違うシチュエーションなのだが、助言の内容はいつも同じで、実際に言われたことだ)。今ではもう学生ではないし、論文を書くこともない。けれども、労働者として必ずしも自分が好きなことではないことで日々をやり過ごしている中で、いつか自分の好きなことをして、それが他人に理解されることでなくとも、それで生きてやろうというという気持ちだけは捨てないようにしたいと思う。今回はいつもの夢よりも鮮明だったので、ここに書き留めておく。