太陽の塔

 2018年に訪れた中で最も印象に残った場所は太陽の塔の内部公開で間違いない。太陽の塔の内部は1970年の大阪万博後はずっと閉ざされたままだったが、今春48年ぶりに内部が公開された。私はそれ以降5月、7月と2度大阪を訪れ、2度ともなんとか予約を取って潜入を果たした。

 四半世紀そこそこしか生きていない私にとって、太陽の塔は過去の思い出と現代を架橋するノスタルジックな記号として語られるもの、としてのイメージが強かった。たとえばクレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲もそうだし、浦沢直樹20世紀少年とか、重松清のトワイライトとか。だから太陽の塔を見て1970年がどういう時代だったのかを考えることはあっても、そもそも太陽の塔とは何か?といったことについて考える機会は全くなかった。

 そんな私が太陽の塔の内部に入ったのは今年のGWのこと。もともと大阪に行くことが決まっていて、どこに行くか調べている中で太陽の塔の内部公開が始まったことを知った。とはいえ公開予約は何ヶ月も前から始まっており、週末、ましてやGWなど空きがあるはずもなかった。したがって予約を取るのはすぐあきらめたものの、報道公開の写真を見てしまったが最後、行けないとわかっているからこそ行きたくなってしまう。それで毎日何度も予約サイトを確かめ、ついにGW中の予約を取り付けた。確か深夜4時頃ふと目が覚めた時に開いた時だったと思う。そんなこんなで予約を手にし、太陽の塔の下に続く階段を降りることになった。

 受付を済ませ、中に入っていくとまず現れるのが「地底の太陽」。太陽の塔には4つの顔があり、外側のいちばんてっぺんにある金色の顔が「黄金の顔」、正面にあるのが「太陽の顔」、裏側にあるのが「黒い太陽」。そして内部に置かれていたのが「地底の太陽」だ。とはいえ本物の「地底の太陽」は万博以後行方不明になっており、今回展示されたのは復元したものだ。「地底の太陽」の周りは、世界各地から集められてきた仮面などに取り囲まれている。おどろおどろしい音楽が鳴り、プロジェクションマッピングで太陽の顔にさまざまな照明が映し出される。もうこれだけで満足。

 しかし本番はこれから。さらに先へ進むと姿を現すのが「生命の樹」。これは塔の下から上に向かって1本の樹が生えていて、その周りを原生類(鞭毛虫)から哺乳類(クロマニヨン人)へと進化する過程を辿った33種類の生物模型が取り囲むといった展示だ。模型の中には劣化してしまったものもあるため、48年前からあるものと、新しく作り直したものが降り混ざっている。進化の最後にいるのはクロマニヨン人までで、その後の人類の姿はない。

 「生命の樹」は生命の進化を表したものであるが、岡本太郎は「進化=進歩」であるとは考えておらず、「人類の進歩と調和」という万博のスローガンに対する疑問を投げかけている。生命の樹の周りを階段で登りながら最上階まで達したとき、眼下を眺めると我々がどのようなルーツを辿って今ここに存在しているのかについて考えさせられる。それは1970年という多くの人々が楽観的に生きていたとされる時代(本当にそうだったのかどうかは私にはよくわからない)においてもそうだし、それから48年が経過したあと再びこの場所に立つ我々にとっても同じことだ。

 最近、『太陽の塔』の映画が公開されたので見に行ってきた。この映画は48年前に建てられた太陽の塔について、あるいは岡本太郎という芸術家について様々な知識人が見解を述べる中で、太陽の塔とは何者であるのかについて考えるドキュメンタリー映画だ。そのうえで、万博終了後にもなぜか解体されず、現代社会においてなお生き続ける太陽の塔の存在が我々に何を示唆するのか、といったテーマについて問いかける、という構成になっている。映画自体はまだ公開中なので具体的な内容について言及するのは控えるが、おそらく太陽の塔は未来永劫に残り続け、形ある限り我々に対してメッセージを発し続けるのだろう。
 
 そういったわけで、機会は多くはないが今後もまた大阪を訪れる機会があれば太陽の塔には足を運びたいと思う。これを読まれた方は騙されたと思ってぜひ内部潜入を試みてほしい。土日の予約が埋まっていても、諦めずに何度もサイトにアクセスすればチャンスは少なくないはず。それから、万博記念公園にはほかにも国立民族学博物館もあり、世界各地の民族の暮らしについて知ることができるので、ぜひ併せて訪れてみていただきたい。