2021/12/31

 夢。一軒目の酒場を出た後、上司から「浮月」に行こうと言われる。そこは許可された人しか立ち入ることのできない横丁なのだそうだ。言われるがまま付いていくと、古めかしい料亭の並ぶ一角に着いた。遊郭のような場所だと思ったが、性の匂いはしなかった。道の中心に出て写真を一枚撮ったところでその夢は終わった。起きてから、あれは一体どこだったのだろうと考える。「浮月」なんて場所は聞いたことがないし、でもそれにしては雅な名前だと思いスマホで検索してみたら、静岡の徳川慶喜邸の名前が「浮月楼」だということがわかり、それでピンときた。きっと「青天を衝け」の放送の最後に舞台となった場所を紹介するコーナーに出てきたのを見ていたのだろう。草彅剛の徳川慶喜はよかった。演技の善し悪しというよりも、最後の将軍としての佇まいが見事だった。「浮月楼」は庭園の美しい料亭で、結婚式などもできるらしい。今度静岡にいく機会があったら訪れてみることにしよう。

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 2021年は今まででいちばん遠出をしなかった年だった。遠くに行ったのはせいぜい尾瀬と熱海くらいで、ほぼ関東から出ていない。代わりにたくさん映画を観て、たくさんライブに行った。

 私は昔はそんなにたくさん映画を観る方ではなかったが、近年はよく観る。しかも今年は2回観た映画も結構多かった。映画をたくさん観るようになったのは4年ほど前に遠くの県で働いていた頃、仕事が終わっても友達もおらず暇なので「男はつらいよ」を観はじめたところ、あれよあれよという間に全作観終えてしまってからのことだ。車寅次郎みたいなフーテンになりたい。テキヤはそれほどやりたくないが。知らない場所でいろいろな人と知り合い、恋をし、喧嘩もし、本気で誰かの幸せを願える人間はうらやましい。恋はみんなするだろうけど、人のことを想って喧嘩したりとか、怒ったりとか、たまにはそういうことも必要なんだろうと思う。毎年年末に公開されていた頃は、きっとみんな映画館で「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」を観てあたたかい気持ちで信念を迎えていたのだろう。

 そんなわけで今では多くの映画を観るようになったのだが、今年の映画を振り返る上で欠かせないのは濱口竜介監督との出会いだろう。「ドライブ•マイ•カー」も「偶然と想像」も大好きな作品だ。喪失と再生、緊張と緩和、性、車。この2作に加え、幸運なことに濱口監督の過去作もいくつか観ることができた。濱口監督は役者に感情を排した本読みを何度もさせてから演技をすることが特徴だ。「ドライブ•マイ•カー」の作中でも演劇の練習をするシーンで実際にこれをやっているシーンが描かれている。感情を抜いた本読みを繰り返し、本番で初めて感情を入れて演技をしたときに、新たな地平が開けるというメソッドだということだ。

 私は何かの演技をした経験はないから、実際にこれをやったときにどのような感覚になるのかはっきりとわからないが、これにちょっと似ていると思うことがある。それは音楽を聴きつづけていると、ある日突然音楽が自分の身体の中に入ってくる感覚に陥るということだ。

 私が特別に好きなミュージシャンはスピッツandymori、カネコアヤノなどだが、この3つに限って言えば、いずれも初めて聴いてから本当に好きだと思うに至るまで3年くらいかかっている。よくスルメなんて言うこともあるが、通勤中や作業中などに特段の感情もなくただなんとなく聴き続けた曲を、歌詞も覚えたという頃になってから急に好きになることがある。メロディに対しても同じことは起こりうるが、必ずメロディが先で歌詞の方が後だ。それを何曲も繰り返しているうちに、そのミュージシャン自体も好きになっている。きっと、曲には曲にぴったりあう感情があって、曲について覚えたあとで、たまたまその感情になったときに初めて、曲のことを正しく受容することができるのだと思う。そう思えたとき、すでに曲はその時点での自分自身を構成する数多の要素のひとつのピースになっている。

 だから、今聴くことがあって、それほど好きだと認識していない曲についても、もしかしたら来年にはものすごく好きになっているようなこともあるかもしれない。来年もたくさんよい映画や音楽に出会いたい。旅行にもちゃんと行きたい。次の旅行では漠然と寂しい場所に行きたいと考えている。そこで人生について考えることにしよう。