2022.1.31

朝のニュースは毎日感染者が増え続けている話題から始まる。そんなことわざわざ起き抜けに教えてくれなくたって、もう前の日の晩に嫌というほど目に入ってきている。なんども聞かなくていい、もっと別の話題を頼む。けれど、最初のニュースが別の話題のときは、確実にもっと悪いことが起こったときだ。そういう意味では、毎日なんの意味を持つのかもよくわからない感染者数を大々的に報じている朝は、今の世の中にあってはごくありふれた平穏な日であると言えるのかもしれない。

どんな理由があれ人を殺すことは許されない。このことは大前提だが、殺人や暴力に関するニュースを見ると、ああ自分もこういうことをするともしかしたら殺されてしまうのかもしれないなとか、殺した人には人生を棒に振っても致し方ないと思うほどののっぴきならない感情があったのかなとか、そういうことを想像したりする。けれども、なんだか最近はそういう背景が全く理解の及ばないものだったり、何ら責めを負うようなことをしていないような人が標的にされたりするようなことが多いように感じてしまう。この2年間で社会がおかしくなっているのか、それとも明るい話題がほとんどないせいで心の痛むことが相対的に増えているように感じてしまうのか、それはよくわからない。でも、日常に潜む脅威が顕在化しやすくなっていて、安心して日常を送りづらくなっているというのは、多くの人が直感的に感じていることなのではないかと思う。もしみんなマスクを外して自由に出歩いたり飲み食いしてもいいという日が来たとしたら、人々のトゲトゲした気持ちもちゃんと丸くなるのだろうか?なんかのキャンペーンじゃなくて、普通の日々を普通に過ごすことで安全に生活できる社会、そんなのはもうユートピアと呼ぶべきものなのだろうか。

1月31日の朝。今日から大規模接種会場が開かれて、前を通りかかったらカメラがたくさん並んでいて、ちょうど中継しているリポーターもいた。なんだか記念撮影みたいだ。前回はワクチンを2回打てばかかりにくくなるのかなとか、これで遊びに行けるかもしれないなとか、少なくともそういう期待感があったが、今は現在地がどこなのかよくわからない。いや、そうではなくて、前回もわかっていなかったのではないか?先には灯りのない道しかなくて、振り返れば通ってきた道はかろうじて見えるといったところだろうか。この文章はここまで意味のあることを何も言っていない。だが、何か意味のあることを言おうとしたところで、現時点ではそれは無責任なものになってしまうような気がする。せめて後から振り返ってああこんな停滞した時期もあったけどまあ楽しいこともあったよねみたいな感じになるといい。そのために日記は役に立つ。来月の終わりにはもう少し明るいことが書けるとよいな。