彷徨う夢をよく見るという話その2

 飲み会をのあと、終電では帰れなかったので親しい友人の部屋に泊まった。酒を飲んでから慣れない場所で眠ると、おかしな夢を見てしまうことが多い。そして以前にも記事を書いたように、私が見るのはやはり彷徨う夢なのだ。

 私は地下鉄のホームに立っていた。ほどなくして電車が来た。緑色の帯だったから千代田線に違いなかった。10分ほど乗って降りた。そこからJRの駅まで近かったので地上に出たところでお腹が空いていたことを思い出し、近くの居酒屋に入ってビールとおでんを注文した。その街は昔恋人のような関係になった人が住んでいた街だった。それほど短くない期間のあいだとても仲良くしていたのだが、些細な事から疎遠になってしまっていたから、その人に会いたいような気もしたが、うっかり新しい恋人と一緒に出くわしたりするのはごめんだった。2杯めのおでんにはさっき忘れた卵を頼もうと思ったが、このまま居続けるとその人が新たな恋人と笑いながら入ってきそうな予感がしたから、食べ終えるとすぐに店を出た。駅に向かう途中で、その人が住んでいるマンションの前を通った。部屋に明かりがついているのか気になったが、部屋の番号は忘れてしまっていたから、見上げたところでよくわからなかった。

 このまま電車で帰るのがよいに決まっていたし、そのために早々と店を出たはずなのに、私は改札の前で引き返し、今度は駅の反対側にある繁華街へと向かった。時計を見ると、21時くらいだった。ちょうど1次会と2次会の入れ替えをするくらいの時間だったから、大勢の人たちが繁華街を歩いていた。私は無意識のうちに、最近その人のFacebookにアップされた写真に写っていた赤いマフラーを探していた。何人かおやっと思う人がいたが、みな別人だった。しばらくの間、私は繁華街を何往復もしていた。それよりは駅からマンションの間をあたったほうがよさそうなものだが、そちらの道へはどうしても足が伸びなかった。見つけることよりも、追い求めることのほうが重要だったのだ。だんだん夜が深まってくると、店の明かりの数も減っていった。寒い夜だった。何度も帰ろうと思ったが、もう5分、もう10分歩いたら何か重要なものが見つかるような気がして、それで繁華街を彷徨い続けた。砂時計をひっくり返し続けるような、ひどく無意味な時間の使い方だった。そして私は砂時計の砂に違いなかった。いつの間にか店の明かりは全部消え、街頭も消えた静かな繁華街を、私は永遠に彷徨い続けた。

 翌朝、私は礼を言って友人の部屋を後にし、自分の家に帰った。スマホのアプリは途中でその街を通るように指示してきたが、遠回りして、よく知っている路線だけを使うことを選んだ。