イリコ

 今年はまだラーメンを食べていないなと思ったら急に食べたくて仕方がなくなったので、金曜日の夜は定時で上がって帰り道とは違う電車に乗った。向かったのは4年くらい前は通勤経路だった場所にあるラーメン屋で、私が知る限りでは日本で一番濃い煮干ラーメンの店だ。開店前から並ぶこと30分、ようやく目の前のカウンターに紅のどんぶりが置かれる。日によって異なる複数の産地のいりこを炊いて作ったスープの色はスープというよりは液体セメントのような濁った灰色をしていて、まずこれをレンゲですくってひとくち飲む。すると口の中に煮干のうまみと苦味が広がる。至福の時。脳内に孤独のグルメでおなじみのエレキのツンドラが流れ、全ての神経は目の前の丼に注がれる。固めの麺も、やわらかな味玉も、太くて甘いチャーシューも、アクセントの生タマネギも、後から注文する和え玉も全てが完成されている。食べ終わった頃、胃の中で小魚が泳ぎ出し始める。
 店を出て銭湯に向かった。家の近くには浴場がないから、たまに銭湯に行きたくなる。この日行ったところははじめて行くところで、思っていたよりも小さかった。壁面には宇宙のモザイク画が描かれている。湯に浸かると小魚になった心地がして、目を閉じて宇宙の中を泳ぎ回る姿を思い浮かべた。宇宙の中を泳いでいたと思ったら、いつの間にか鍋の中に入っているかもしれない。
 銭湯からバスに乗れば意外と家から何駅か隣の駅まで行けるようだった。鉄道路線図だけでは位置感覚を見失ってしまう。バス路線図に詳しくなれば土地の距離感を身体化できるような気がする。
 帰りのバスの中で、来月は連休をもらっていりこの故郷である瀬戸内に行くことを決めた。東京に来てから海が足りない。